
自己肯定感が高い子に育てるには
自己肯定感を伸ばすには
というキャッチーなフレーズで子育てを頑張っている人は多いのではないかと思います。
もちろん、これに異論はない。
私もその1人であります。
私も1人の親としても、また経営者の顔としても、自己肯定感は、人生を生きていくにおいても
とても大事な力の1つだと思う。
そもそも、自己肯定感とはなにか。
自己肯定感とは、自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情
Wikipedia
しかしながら、自己肯定感とはなにかと考えたときに、いささか、個人個人で捉え方のバラつきを感じることもある。
それもそのはず。
実は実際にこれといった定義が定まっていないものであることも確かなのです。
私は排泄の自立への道を1つ、子育ての中の大事な大事な形成期だと確信しています。
そして、排泄の自立は、トイレで排泄ができるようにすることだけが目的ではなく、
もっと重大な目的の1つに、この自己肯定感の形成が含まれているとも思っている。
故に、各研究者による自己肯定感の定義解釈の中で、私の解釈と一番近いものが、
高垣忠一郎氏が説く
「他人と共にありながら自分は自分であって大丈夫だという、他者に対する信頼と自分に対する信頼」
という定義だと思う。
自己肯定感というと、自分を認められる力とか自分に自信がある力などを聞くことが多い。
もちろんそれも間違っていないとは思うのだか、
そうなると結果『できる』という評価を求めがちになってしまうと思う。
できる人が自己肯定感がある。
自己肯定感があるからできる。
それでは、卵が先か鶏が先かの堂々巡りになる。
もちろんその構図も正しいとは思うのだが、私は自己肯定感そのものは、
そもそもできるできない以前に、人に備わっているものだと思っている。
いわば、生後間もなくの赤ちゃんにも持ち合わせているものだと思うということ。
そうなるともっと踏み込んで考えていかねばならない。
そこに、自己肯定感の本質とは何かが必要になってくると思う。
それが、《快不快》なのではないかと思うのです。
自分は自分であって大丈夫というのは、ありのままの自分(=being)を認める、認められること
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私はこれをシンプルに食う・寝る・出すに基づく【快・不快】で形成できると思っています。
そして、他者に対する信頼と自分に対する信頼
この信頼というカタチを作るのが、性教育学講座で話すエリクソンの発達段階にもあった
快不快の拮抗、つまり、
▶快が不快に傾くことに気づき、不快を取り除き快に戻す◀
これを繰り返していくことで、形成されていく。
つまり、自己肯定感を
高垣忠一郎氏いわく
「他人と共にありながら自分は自分であって大丈夫だという、他者に対する信頼と自分に対する信頼」
と定義するならば、
1つは排泄育児の中で、快不快のサイクル(快が不快に傾くことに気づき、不快を取り除き快に戻す)を
繰り返すことで、beingを十分に育んでいく
それが、つまりは自己肯定感を育んでいくことに繋がるという。
(※もちろん排泄育児だけが形成できる唯一の方法ではないとは思っている)
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自己肯定感が高い子に育てるには
自己肯定感を伸ばすには
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いろいろな経験をさせる中で、成功体験を積み重ねることによって形成されると思われることが多いが
もちろんそれは自信にもつながり、自分は自分であって大丈夫だという確信にもつながる。とは思う。
しかし、私が伝えたいのは、そういう経験がなされる前に大事になってくる核の部分が無いと
そもそも、成功体験をつみかさねることすらできなくなるのではないかということ。
その核が、
「他人と共にありながら自分は自分であって大丈夫だという、他者に対する信頼と自分に対する信頼」
を形成する以前の話しなのだということです。
つまり
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快不快のサイクル(快が不快に傾くことに気づき、不快を取り除き快に戻す)を
出す(排泄育児)中で、母と子が関わり合いながら繰り返すことで、
beingを十分に育んでいき、それが信頼というカタチをも作る。
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これが核である。
ちなみに、kuccaでは、
この方法を「排泄学講座」で解き、
更に快不快の大切さや成り立ちを理解するために「発達育学」で解き
そのすべてをもってして、「性教育学」で実践し快不快や自己肯定感を血肉にしていく
プログラムでいます。
kucca理念3本柱!!!
その大大前提として、皆さんの取り組んでいる排泄育児は、
何にも代えがたい本当に大事な役目であるということは
改めて実感してもらえたらありがたいです。
つまりトイトレは、排泄がトイレで出来るようになるというのはただの序章であり
もっと奥深いところに、トイトレの重要性が隠れているというわけであるのです。

